南阿蘇村湧水群(明神池名水公園)情報
※その他熊本県名水情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/kumamoto.html
※その他南阿蘇村湧水群の水源の情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/50271578.html
※その他平成の名水百選情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/heiseimeisui-hyakusen-matome.html
※その他熊本県名水情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/kumamoto.html
※その他南阿蘇村湧水群の水源の情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/50271578.html
※その他平成の名水百選情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/heiseimeisui-hyakusen-matome.html
場所
熊本県阿蘇郡南阿蘇村Googleマップの地図
行き方
南阿蘇鉄道高森線阿蘇白川駅下車。
下車後徒歩15分。
交通の便
阿蘇白川駅は
立野方面は9,11,15,19時代を除き1時間に1本
高森方面は9,12,14,18時代を除き1時間に1本汽車があり。
飲用出来るかどうか?
飲用可能。
簡単な感想
今回訪れた明神池名水公園は、同地域で過去に昭和の名水百選に選ばれた
白川水源の反対方向へしばらく進んだ場所にあります。

名水公園のすぐそばに郡塚神社がありますが
まずは目当ての名水の見学を行います。

大きく名水公園と書かれた石碑の前から奥へと進むと

明神池名水公園の源泉地もとい水飲み場があります。

水飲み場の側に、明神池名水公園の情報が書かれた
立て看板があったので、その内容を読んでみると
この明神池は、白水地区のほぼ中央に位置する名水地で
昔はかなり広い湖だったようですが、昭和28年に起きた
大水害によって土壌が蓄積し、湿原状態となってしまったそうですが
その後しばらくして、平成2年に湿地を改修し
かつてのような湖が形成された絶景の地として復活を遂げた場所です。

更に読み進めて行くと、この湧水の手前には
郡塚神社と言う産神を奉った神社があり、ここから湧き出てきた水は
誕生水として、飲むと安産に効果が有る事を示す伝承があります。
また、薩摩の西郷どーんこと、西郷隆盛が首謀者となった
日本最後の内戦、西南の役(西南戦争)に参加した佐川官兵衛は
ここの水で身を清め、郡塚神社に必勝を祈願された記録が残っているそうです。
※なお、西南戦争の勝者は政府軍です。
この内戦によって、その年の税金の大半を戦争費用で使ってしまい
貧富の格差や広がってしまった問題や、本来国主導で行うはずだった
鉄道の配備をジリ貧の国に変わり、この事件以後私企業主導により
線路の整備を行えるきっかけになったそうです。
※ある意味私鉄開業のきっかけになった事件なのかもしれません。

静かな明神池の側で、明神池名水公園の看板に書かれている内容を読んだ後は
早速、明神池名水公園の源泉の前へと移動します。

以前見学をした白川水源程ではありませんが
源泉からは水が勢い良く湧き出していました。
源泉から湧き出る冷たい水を頂くと、非常に冷たく円やかでおいしい水です。

非常に清涼で美味な明神池名水公園の水の味を堪能した後は
明神池名水公園名の由来にもなった、明神池の見学をします。

池の中央付近に、なにやら人が座っているような像が建てられていたので
どんな像が有るのか?非常に気になったので
レンズをズームさせてみると、その像の正体は河童でした。

なぜ座った河童が湖内に配置されているのか?
その謎を解く文が湖畔前の看板の中にあったので読んでみると
かつてこの明神池には、仲の良い男女の河童が暮らしていましたが
男の河童は激しいいたずらを繰り返していた為に神の怒りに触れ
遠くの池へと追放されたそうです。
その後、そのことを知らない女の河童は、池の中の石の上で彼の帰りを待ち続け
桜の咲き乱れる春から、寒風吹き荒む冬になっても
彼は帰ってくることはありませんでした。
この出来事により、座っていた河童が去った後
かつて河童が座っていた石の事を河童石と呼ぶようになり
さらに長き時を経た平成9年、この故事を元にして
悲劇のヒロインで有る、女河童の像が建立されました。
お勧め度
5段階評価で5
熊本県阿蘇郡南阿蘇村Googleマップの地図
行き方
南阿蘇鉄道高森線阿蘇白川駅下車。
下車後徒歩15分。
交通の便
阿蘇白川駅は
立野方面は9,11,15,19時代を除き1時間に1本
高森方面は9,12,14,18時代を除き1時間に1本汽車があり。
飲用出来るかどうか?
飲用可能。
簡単な感想
今回訪れた明神池名水公園は、同地域で過去に昭和の名水百選に選ばれた
白川水源の反対方向へしばらく進んだ場所にあります。

名水公園のすぐそばに郡塚神社がありますが
まずは目当ての名水の見学を行います。

大きく名水公園と書かれた石碑の前から奥へと進むと

明神池名水公園の源泉地もとい水飲み場があります。

水飲み場の側に、明神池名水公園の情報が書かれた
立て看板があったので、その内容を読んでみると
この明神池は、白水地区のほぼ中央に位置する名水地で
昔はかなり広い湖だったようですが、昭和28年に起きた
大水害によって土壌が蓄積し、湿原状態となってしまったそうですが
その後しばらくして、平成2年に湿地を改修し
かつてのような湖が形成された絶景の地として復活を遂げた場所です。

更に読み進めて行くと、この湧水の手前には
郡塚神社と言う産神を奉った神社があり、ここから湧き出てきた水は
誕生水として、飲むと安産に効果が有る事を示す伝承があります。
また、薩摩の西郷どーんこと、西郷隆盛が首謀者となった
日本最後の内戦、西南の役(西南戦争)に参加した佐川官兵衛は
ここの水で身を清め、郡塚神社に必勝を祈願された記録が残っているそうです。
※なお、西南戦争の勝者は政府軍です。
この内戦によって、その年の税金の大半を戦争費用で使ってしまい
貧富の格差や広がってしまった問題や、本来国主導で行うはずだった
鉄道の配備をジリ貧の国に変わり、この事件以後私企業主導により
線路の整備を行えるきっかけになったそうです。
※ある意味私鉄開業のきっかけになった事件なのかもしれません。

静かな明神池の側で、明神池名水公園の看板に書かれている内容を読んだ後は
早速、明神池名水公園の源泉の前へと移動します。

以前見学をした白川水源程ではありませんが
源泉からは水が勢い良く湧き出していました。
源泉から湧き出る冷たい水を頂くと、非常に冷たく円やかでおいしい水です。

非常に清涼で美味な明神池名水公園の水の味を堪能した後は
明神池名水公園名の由来にもなった、明神池の見学をします。

池の中央付近に、なにやら人が座っているような像が建てられていたので
どんな像が有るのか?非常に気になったので
レンズをズームさせてみると、その像の正体は河童でした。

なぜ座った河童が湖内に配置されているのか?
その謎を解く文が湖畔前の看板の中にあったので読んでみると
かつてこの明神池には、仲の良い男女の河童が暮らしていましたが
男の河童は激しいいたずらを繰り返していた為に神の怒りに触れ
遠くの池へと追放されたそうです。
その後、そのことを知らない女の河童は、池の中の石の上で彼の帰りを待ち続け
桜の咲き乱れる春から、寒風吹き荒む冬になっても
彼は帰ってくることはありませんでした。
この出来事により、座っていた河童が去った後
かつて河童が座っていた石の事を河童石と呼ぶようになり
さらに長き時を経た平成9年、この故事を元にして
悲劇のヒロインで有る、女河童の像が建立されました。
お勧め度
5段階評価で5
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