智積養水の情報
※その他三重県名水情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/mie.html
※その他昭和の名水百選情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/showameisui-hyakusen-matome.html
※その他三重県名水情報
http://www.meisuiyugi.net/archives/mie.html
※その他昭和の名水百選情報
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場所(地図周辺の用水路一帯)
三重県四日市市智積町Googleマップの地図
行き方
近鉄湯の山線桜駅下車。
下車後、徒歩5分位。
交通の便
1時間に2〜3本電車があり。
飲用出来るかどうか?
飲用不可。
簡単な感想
初めて智積養水に行った時は、智積養水が流れる水路の工事をしていた為
水路内の水量が異様に少なかった事で、楽しみが大きく削がれましたが
そんな状態であっても、智積養水は名水百選に選ばれているだけあり
水の量が少ない時であっても、水路内を流れる水は澄んでいました。
2度目の来訪時の記事
桜駅に着くと駅前の智積養水記念公園の看板を撮影し
久々に見る智積養水には、前回来訪時と変わらず綺麗な水が流れていました。
その後智積養水の看板のある地域へと移動をし
以前来訪した時は水路が工事中だった事もあって水がほとんど流れていませんでしたが
この日の水路内には並々と水が流れており、水路の中を泳ぐ鯉も元気そうです。
鯉の泳ぐ水路付近にある智積養水の看板を見ると、智積養水の源泉は隣町にある蟹池で
池から蟹の泡のようにぶくぶくと泡が出ていた事や、昔は蟹が多く住んでいた事から
蟹池と名前がついたようです。※蟹池は後日見学しました。
智積養水(ちしゃくようすい)の由来や歴史について簡単に纏めると
四日市市智積町は、昔から「旱損所」といわれ、日照り続きには水が枯れ
逆に豪雨時には怒濤の如き上流から水の襲来を受けるため
穀物収量への影響は死活問題として、川上の菰野町と川下の智積町とは争いが絶えなかった。
したがって、農業用水や生活用水の保全については、恵みの水のありがたさを
日常生活を営むなかで語り継いできた。
そのような背景のもと、菰野町から清水として湧き出て智積町に至る1.8km
幅1〜2mの川を町の宝として引き継いできた。
毎日の米とぎや洗濯、洗顔、入浴に至るまで幼い頃から川の水を使ってきたため
人々はいつからともなく用水ではなく、暮らしを支える「智積養水」と呼ぶようになった。
とあり、ある種智積養水に養ってもらいながら生活を行っていた事から
水路の名前によく使用される用水では無く、養水と名前がついた事や
源泉の蟹池が今日でも四日市市では無い(三重郡菰野(こもの)町)にあり
今日でも他自治体に依存した水源である事から、都市合併の話が出てくるまでは
養水の名前に偽り無しなのかなと感じました。
お勧め度
5段階評価で3
三重県四日市市智積町Googleマップの地図
行き方
近鉄湯の山線桜駅下車。
下車後、徒歩5分位。
交通の便
1時間に2〜3本電車があり。
飲用出来るかどうか?
飲用不可。
簡単な感想
初めて智積養水に行った時は、智積養水が流れる水路の工事をしていた為
水路内の水量が異様に少なかった事で、楽しみが大きく削がれましたが
そんな状態であっても、智積養水は名水百選に選ばれているだけあり
水の量が少ない時であっても、水路内を流れる水は澄んでいました。
2度目の来訪時の記事
桜駅に着くと駅前の智積養水記念公園の看板を撮影し
久々に見る智積養水には、前回来訪時と変わらず綺麗な水が流れていました。
その後智積養水の看板のある地域へと移動をし
以前来訪した時は水路が工事中だった事もあって水がほとんど流れていませんでしたが
この日の水路内には並々と水が流れており、水路の中を泳ぐ鯉も元気そうです。
鯉の泳ぐ水路付近にある智積養水の看板を見ると、智積養水の源泉は隣町にある蟹池で
池から蟹の泡のようにぶくぶくと泡が出ていた事や、昔は蟹が多く住んでいた事から
蟹池と名前がついたようです。※蟹池は後日見学しました。
智積養水(ちしゃくようすい)の由来や歴史について簡単に纏めると
四日市市智積町は、昔から「旱損所」といわれ、日照り続きには水が枯れ
逆に豪雨時には怒濤の如き上流から水の襲来を受けるため
穀物収量への影響は死活問題として、川上の菰野町と川下の智積町とは争いが絶えなかった。
したがって、農業用水や生活用水の保全については、恵みの水のありがたさを
日常生活を営むなかで語り継いできた。
そのような背景のもと、菰野町から清水として湧き出て智積町に至る1.8km
幅1〜2mの川を町の宝として引き継いできた。
毎日の米とぎや洗濯、洗顔、入浴に至るまで幼い頃から川の水を使ってきたため
人々はいつからともなく用水ではなく、暮らしを支える「智積養水」と呼ぶようになった。
とあり、ある種智積養水に養ってもらいながら生活を行っていた事から
水路の名前によく使用される用水では無く、養水と名前がついた事や
源泉の蟹池が今日でも四日市市では無い(三重郡菰野(こもの)町)にあり
今日でも他自治体に依存した水源である事から、都市合併の話が出てくるまでは
養水の名前に偽り無しなのかなと感じました。
お勧め度
5段階評価で3
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