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受付を済ませ、会場内の準備が整うまで入り口で待つことにしました。
※ちなみにこの日一番乗りです

※赤羽駅から吉野家本社へ移動した時の話
http://www.meisuiyugi.net/archives/50461731.html
※GIGAZINEの記者の方も記者会見に出席したようです。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100902_yoshinoya_gyunabe_don/
※その他吉野家牛鍋丼イベントの記事
http://www.meisuiyugi.net/archives/50461729.html
ビル入口にて15分ほど経った頃に、ビル内部へと続く道が開き
吉野家スタッフの案内で、イベント会場へエレベーターで向かいます。
イベント会場に着くと、席の前にあるプロジェクターには
吉野家 百年変わらぬ伝統のうまさ 牛鍋丼試食会と書いてあります。

各々の席の前にはい・ろ・は・すの静岡県採水版が置いてあり
塩っ気のある食べ物をこれから頂くので、味のない飲み物はありがたいです。
※い・ろ・は・すに関しては、今年発売された宮崎県えびの市採水版以外は
一度以上飲んだことがあり、飲み比べた感想を残しております。
http://www.meisuiyugi.net/archives/50304221.html

その他机の上には牛鍋丼のシールが置いてあり、量は並盛と大盛りがあるそうです。
※価格は並盛が280円、大盛りが380円です。

その他奥の机には牛鍋丼に使うために開発した丼容器のプロトタイプが展示されていました。

フロアー内には他にも、牛鍋丼販売を記念して作った牛鍋丼のポスターや

記者会見の時に使用したと思われる、吉野家の文字が入った壁が設置されていました。

会場から見て手前側の食堂には、制服を着た吉野家の社員の方々が
イベント中に頂く牛鍋丼をいつでも供給出来るよう、食堂内で待機していました。

しばらく席に座って待っていると、このイベントを運営する
アジャイルメディアネットワークの徳力様より挨拶があり
このイベントの概要を説明された後、吉野家の社長である安部修仁様が登場し
安部社長の話を簡単にまとめると
吉野家は創業してから111年目の老舗メーカーである事
元々の吉野家で発売された牛丼は、すき焼きをご飯にかけた物が
牛丼の始まりで、今回発売される牛鍋丼に考え方が近く
原点回帰を果たしたような商品である事。
牛鍋丼は同社発売の牛丼よりもカロリーを抑え、女性や老人にもお勧めである事。
牛鍋丼の開発は3月から始まり、その後一部店舗で先行して
5月10日から実験販売を行い、そこで得られた結果を元に
先行販売店舗で味のテストを行ないつつ、更に味が美味しくなるように
随時味の調整を行い、8月にこれから頂く牛鍋丼の味が完成したそうです。

牛鍋丼の概要と、会社の歴史をサラリと社長の話で触れていただいた後は
経営企画担当の中木様より、会社の概要や歴史等の話をして頂きました。

まずは吉野家ホールディングス(吉野家の親会社)を筆頭に
牛丼でおなじみの吉野家に加えて、寿司の京樽、さぬきうどんのはなまる
焼肉のどん等の牛丼以外の飲食店を運営していますという説明をして頂き

その後吉野家の沿革の説明へと続き、吉野家は東京都中央区日本橋にあった
魚市場の中の個人商店として開業したのが始まりで、創業者は食の都と名高い
大阪出身の松田栄吉と言う方だそうです。
なお、吉野家の名前の由来は、創業者の松田栄吉氏が
大阪吉野町と呼ばれていた場所の出身だった事から
出身地の名前を取って会社名にしたそうです。
※当時吉野町と呼ばれていた場所は現在の大阪市福島区です。

日本橋で吉野家を創業をしたのは、大阪の地で東京の日本橋が
非常に賑わっていた話を聞いていた為で、当時は安部社長の話にもあるように
明治時代に大流行した牛鍋を、ご飯にかけて食べたような丼料理を
出していたようです。
※東京の日本橋は(にほんばし)と読みますが
大阪オタロードやでんでんタウン付近にも日本橋と呼ばれる場所がありますが
大阪の日本橋はにほんばしではなく、にっぽんばしと読むので注意。

その後、魚市場が日本橋から築地に移転した事をきっかけに築地に移転します。
※なお現在の吉野家一号店は築地にあります。

その後、吉野家の牛を模したロゴの話へと移り
このロゴが作成されたのは昭和46年で、このロゴには吉野家から
オリエンタルテイストを醸し出す為に作られたそうです。
※オリエンタルとは一言で言うと東洋的と言う意味で
昔は西洋人が東洋に対して異質な文化であるという先入観を抱いて
呼称していたという歴史もある為、国によってアジアのどの地域までを
オリエンタルと言う枠に含めるかの認識が異なるようです。
なお、牛をモチーフにしたロゴ作成した2年後には
アメリカのコロラド州都のデンバーに出店したそうです。

その後順当に店舗を増やして行った物の、店舗の増加に対して海外から牛肉を輸入する際
現在のように牛肉は貿易自由化がされてなかった為に
肉が安定して供給できないという問題が発生し
海外から生肉を輸入する事に制限があると言う事を回避する為
一度第三国に輸入をした後に生肉にならない加工を施し
(フリーズドライ製法)加工肉として、牛肉を供給したそうですが
無論生肉ではないので味ががくんと落ち、客離れが急激に進行し
1980年には一度倒産を経験しております。
※その他汁のコストダウンのために粉末を使用したという情報もあります。
その後当時堤王国と呼ばれていたセゾングループの庇護を受けて再建を果たし

セゾングループの力や、当時漫画家のゆでたまご氏が執筆していた
キン肉マンの劇中によく出てきた牛丼ネタが功を奏し
更生債務100億円をわずか7年で完全返済し、怒涛の勢いで店舗を増やし

全世界で吉野家グループ店舗数は1630店舗(2010年8月31日当時)あり
そのうち日本国内には1199店舗あるそうです。

店舗の説明が終わった後は、吉野家のスローガンである、うまい、はやい、やすいの話が始まり

2001年の頃は牛丼という存在が、うまい、やすい、はやいを体現するものとして君臨していましたが

2010年現在では競合他社との価格競争によって、デフレが起こり
起死回生の策として2010年に開発した牛鍋丼で、うまい、やすい、はやいを体現したいそうです。

最後に新商品は上手く行くことよりも行かないことが多い事を吐露し
中木様の話はここで終了し、商品開発の菅原様への話と続きます。
菅原様の話は下記URLをクリック!
http://www.meisuiyugi.net/archives/50461730.html
吉野家スタッフの案内で、イベント会場へエレベーターで向かいます。
イベント会場に着くと、席の前にあるプロジェクターには
吉野家 百年変わらぬ伝統のうまさ 牛鍋丼試食会と書いてあります。

各々の席の前にはい・ろ・は・すの静岡県採水版が置いてあり
塩っ気のある食べ物をこれから頂くので、味のない飲み物はありがたいです。
※い・ろ・は・すに関しては、今年発売された宮崎県えびの市採水版以外は
一度以上飲んだことがあり、飲み比べた感想を残しております。
http://www.meisuiyugi.net/archives/50304221.html

その他机の上には牛鍋丼のシールが置いてあり、量は並盛と大盛りがあるそうです。
※価格は並盛が280円、大盛りが380円です。

その他奥の机には牛鍋丼に使うために開発した丼容器のプロトタイプが展示されていました。

フロアー内には他にも、牛鍋丼販売を記念して作った牛鍋丼のポスターや

記者会見の時に使用したと思われる、吉野家の文字が入った壁が設置されていました。

会場から見て手前側の食堂には、制服を着た吉野家の社員の方々が
イベント中に頂く牛鍋丼をいつでも供給出来るよう、食堂内で待機していました。

しばらく席に座って待っていると、このイベントを運営する
アジャイルメディアネットワークの徳力様より挨拶があり
このイベントの概要を説明された後、吉野家の社長である安部修仁様が登場し
安部社長の話を簡単にまとめると
吉野家は創業してから111年目の老舗メーカーである事
元々の吉野家で発売された牛丼は、すき焼きをご飯にかけた物が
牛丼の始まりで、今回発売される牛鍋丼に考え方が近く
原点回帰を果たしたような商品である事。
牛鍋丼は同社発売の牛丼よりもカロリーを抑え、女性や老人にもお勧めである事。
牛鍋丼の開発は3月から始まり、その後一部店舗で先行して
5月10日から実験販売を行い、そこで得られた結果を元に
先行販売店舗で味のテストを行ないつつ、更に味が美味しくなるように
随時味の調整を行い、8月にこれから頂く牛鍋丼の味が完成したそうです。

牛鍋丼の概要と、会社の歴史をサラリと社長の話で触れていただいた後は
経営企画担当の中木様より、会社の概要や歴史等の話をして頂きました。

まずは吉野家ホールディングス(吉野家の親会社)を筆頭に
牛丼でおなじみの吉野家に加えて、寿司の京樽、さぬきうどんのはなまる
焼肉のどん等の牛丼以外の飲食店を運営していますという説明をして頂き

その後吉野家の沿革の説明へと続き、吉野家は東京都中央区日本橋にあった
魚市場の中の個人商店として開業したのが始まりで、創業者は食の都と名高い
大阪出身の松田栄吉と言う方だそうです。
なお、吉野家の名前の由来は、創業者の松田栄吉氏が
大阪吉野町と呼ばれていた場所の出身だった事から
出身地の名前を取って会社名にしたそうです。
※当時吉野町と呼ばれていた場所は現在の大阪市福島区です。

日本橋で吉野家を創業をしたのは、大阪の地で東京の日本橋が
非常に賑わっていた話を聞いていた為で、当時は安部社長の話にもあるように
明治時代に大流行した牛鍋を、ご飯にかけて食べたような丼料理を
出していたようです。
※東京の日本橋は(にほんばし)と読みますが
大阪オタロードやでんでんタウン付近にも日本橋と呼ばれる場所がありますが
大阪の日本橋はにほんばしではなく、にっぽんばしと読むので注意。

その後、魚市場が日本橋から築地に移転した事をきっかけに築地に移転します。
※なお現在の吉野家一号店は築地にあります。

その後、吉野家の牛を模したロゴの話へと移り
このロゴが作成されたのは昭和46年で、このロゴには吉野家から
オリエンタルテイストを醸し出す為に作られたそうです。
※オリエンタルとは一言で言うと東洋的と言う意味で
昔は西洋人が東洋に対して異質な文化であるという先入観を抱いて
呼称していたという歴史もある為、国によってアジアのどの地域までを
オリエンタルと言う枠に含めるかの認識が異なるようです。
なお、牛をモチーフにしたロゴ作成した2年後には
アメリカのコロラド州都のデンバーに出店したそうです。

その後順当に店舗を増やして行った物の、店舗の増加に対して海外から牛肉を輸入する際
現在のように牛肉は貿易自由化がされてなかった為に
肉が安定して供給できないという問題が発生し
海外から生肉を輸入する事に制限があると言う事を回避する為
一度第三国に輸入をした後に生肉にならない加工を施し
(フリーズドライ製法)加工肉として、牛肉を供給したそうですが
無論生肉ではないので味ががくんと落ち、客離れが急激に進行し
1980年には一度倒産を経験しております。
※その他汁のコストダウンのために粉末を使用したという情報もあります。
その後当時堤王国と呼ばれていたセゾングループの庇護を受けて再建を果たし

セゾングループの力や、当時漫画家のゆでたまご氏が執筆していた
キン肉マンの劇中によく出てきた牛丼ネタが功を奏し
更生債務100億円をわずか7年で完全返済し、怒涛の勢いで店舗を増やし

全世界で吉野家グループ店舗数は1630店舗(2010年8月31日当時)あり
そのうち日本国内には1199店舗あるそうです。

店舗の説明が終わった後は、吉野家のスローガンである、うまい、はやい、やすいの話が始まり

2001年の頃は牛丼という存在が、うまい、やすい、はやいを体現するものとして君臨していましたが

2010年現在では競合他社との価格競争によって、デフレが起こり
起死回生の策として2010年に開発した牛鍋丼で、うまい、やすい、はやいを体現したいそうです。

最後に新商品は上手く行くことよりも行かないことが多い事を吐露し
中木様の話はここで終了し、商品開発の菅原様への話と続きます。
菅原様の話は下記URLをクリック!
http://www.meisuiyugi.net/archives/50461730.html
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